若い頃は変われた と言ったけど...

若い頃は変われたって言った。確かに年をとれば自分の考えややりかたが固まってくるから、なかなか変わりにくい、若いと自信がなかったり、はじめてのことが多いから、それが変化しやすさ、柔軟さにつながってるんだろうと思う。
この「自分」からの見方以外にもう一つ、まわりからの見方という切り口がある。

それは大人になるとだんだんまわりも変わらなくなるってこと。
大学までは数年で学校は変わるし、クラス変えがあったり、選択授業でも人が変わるし、人がどのくらいの時間があれば1安定した関係を築けるかはわからないけど、結構大変な変化。そこでは自分を主張するっていうよりも馴染むという感じになるんじゃないか。そしてそれが柔軟さに結びついてるのかな、と。
もちろん今や色んなありかたがあるので、あくまでちょっと古めの概念でとする。そうすると...
大人の社会は基本的には安定している。安定させようという社会というのか?
会社は一定の利益をあげるために安定してほしいし、仕事だって、毎日未経験なことばかりじゃ困る。
そのためには仕事も蓄積が必要で、働く人もそんなに変わらず、作られた関係は長く続く。
そして結婚して家庭を作り、長い間変化しない異性との関係を作る。そして安定してるこそ不安定な子供というものが育てられる。
こんな感じで、前半は変化する環境に自分をおかざるを得ず、後半は安定をよしとする環境。
前半は自ら求めなくとも変わらざるを得ず、後半は自分から動かなければ変化しにくくなってしまう。

みんなどっちを求めてるんだろう?
当たり前だけど、それはその人のタイプか...

仕事は結構便利で、「仕事」に関して生まれる関係は、そのことについてはお互いメリットがあるからうまくいく。そしてそのやりとりのなかで、いい人とはもう少し深くつきあえばいいし、それだけで終わらせてもいい。
それが、まずは気に入られて...なんていう関係構築の仕方には僕はついていけない。
このついていけないは、馬鹿にしているのではなく、単純に出来ないだろうということ。

学校の頃はだから苦痛だった。
なんか群れてないといけないようで...みんなでトイレに行ったり、それを断るとアイツ...っていうような感じ、休み時間に机に座ったままじゃいけなくて、後ろに集まって話さなきゃいけないっていうような、一人でいると変だというあの感覚。
それでもやっぱり浮いてしまうことを気にして行動してた。

学校での関係を思うと...
まずクラスのみんながうまくやっていくってことが難しい。同じ目的があるってわけじゃないんだから。
大人だって、組織には同じ目的があってはじめて動いてる。会社ならモノを売ったり作ったりして、そこでお金をもらうってこと。子供は特別だってことはないでしょう。学ぶっていうことを目的は感じていなければ、あの人数が集まっても共通のくくりがない。そうすると、誰とあうとか、誰は嫌いとかの関係が勝ってしまう。
それがとっても大事なことで、なおかつ大人が「まあいいか」と思えることも子供は許せなかったするから、そういう点で好き嫌いの振れ幅が大きいのかも。坊主憎けりゃ...と。

NHKのTVで小学校の先生が「昔より子供のひとグループの人数が少なくなってる」ようなことを言ってたけど、小さい頃から接してきた環境がこじんまりしていれば、あうあわないの許容範囲も小さいわけで、無理もないと思う。
一人っ子で、おじいちゃんおばあちゃんとほとんどあわず、一軒家に住んで、外にあまり出ないなんて想像したら...。
そんな子にとってはとってもストレスなはずなのに、友達がたくさんいることにウエイトを置くような指導や接し方は違うんじゃないか。あることが出来てだんだん広げていくものでしょう?
グループが小さくてもそれでいい関係なら別にいいでしょう?

話しが広がっちゃったけどそういうことで、まわりが変われば年を経ても変わっていくかも、と思い当たった。だけどそれは環境の状態からいって、自分から積極的に変えていかなきゃ、待ってても変わらないものなのかもしれない と思う。