「密やかな結晶」小川洋子

あらすじ
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記憶というと、いつまでも自分の中にあって新鮮なよう。いつでも取り出せそう。
でも同じものを「思い出」って言うと、それは今はもう手に入らないもの、なくなってしまった感じになる。

この小説ではある時、突然モノがなくなって、それと同時にそのモノについての記憶もなくなっていく。
モノがなくなると当然、色々と困ったことになるんだけど、しばらくするとなくなったなくなったで、何とかなるようになる。モノってそんな感じでしょうか?
なかにはそのモノがなくなってもそれにまつわる記憶を失わない人が出てくる。
記憶を失ってしまう人にしてみればうらやましくもあるんだけど、実際、その良さはわからない。
ちょうど、子供の頃に図鑑で見た「未来の都市」のよう。「何だか良さそうだけど..」という感じで実感としてとらえられない。

記憶はなくなるけど、思い出はなくならない。絶対になくならないんじゃない。大事なものなら、かな。
彼女のお母さんは[記憶を失わない人]だった。そういう人は社会を混乱させるとして探していた秘密警察が見つけ、連行されてしまう。彼女の前から消えてしまう。
でもそのお母さんの思い出は彼女の中から消えず、お母さんとの色々な場面を思い出す。「思い出」

また、この本のなかでは記憶はモノに結びついていて、後半には人の体のパーツも消え始めてしまう。実はそれだってモノではあるってわけだ。
[記憶]と[思い出]は僕が勝手に切り分けたもので、作者は[思い出]なんてつかってない。
僕が[思い出]といったものは人の行動にくっついている。人と人の気持ちのふれあい。

そして小説の中で、色んなものがことごとく消えていき、最後は[意識]だけになる。これがポイントなんだろうね。人の本質は意識にあると。


主人公の彼女は小説家で、彼女が書いていた小説のなかの話のことも平行して進んでいくんだけど、それもまた「思い出」の話。
小説のなかの彼女はタイプライターを習っていて、そのタイプライターが壊れるとともに、声を失い、そして講師に教室の上にある時計台の下の部屋に閉じこめられてしまう。タイプライターに声を吸い取られたってわけ。そしてそれは講師の仕業。

これを読んで、小説のなかの彼女は「思い出」なのだと思った。
この彼女は外の新しいことが気になりながらも出て行かない。また一度はそこから逃げるチャンスがあったのに。彼女は[思い出]なので新しいものが結局怖い。そしてだんだんと、その部屋に閉じこめられていると、まわりのコントラストが薄れていくことに気づく。ただ彼のまわりだけはコントラストを失わない。なぜなら彼女という思い出はだんだんとみんなから消えつつあるけども、彼の中だけにはしっかりとあるから。

だけど何と、最後は彼に新しく好きな人が出来てしまう。彼に新たな思い出が出来ようとしている。そしたら彼女は?...そう、消えてしまう。彼女自身も、他の女性に惹かれる彼を知り、その結末もわかっていた。


最初は、モノに執着してもそれがなくなってしまえば忘れられてしまうのでしょうがない、やっぱり人の気持ちのなかで自分の存在感があるってことが大事というか、意味あることなんだと理解した。モノはなくなっても困らないけど、意識はその人そのものだから大事で、だから最後まで残ったのだと。

ただ、よく考えると、人と人が何かを感じ合ったり、意識を通わせ合うには、間に翻訳が必ず必要。
彼女(小説の中ではない方)のことが好きな、記憶を失わない編集者が最後に意識だけになってしまった彼女と、何とか気持ちを通わせたいとおもうのだけど、うまくいかない。結局、実感がないからだと思う。
だから...その人について理解する時に、その人のまわりにあるモノも大事だということ。モノについて同じ気持ちを持つことが出来るとか、そういうこと。例えば、自分が素敵だと感じるこのモノを相手もまたいいと思うことで、互いの気持ちが通じ合ったと感じる。
そしてそうやって作られた「思い出」はいつまでも気持ちのなかに残っている。

最後に書いたことだけを読むと、これって当たり前のことなんだけど..(苦笑)